top of page

水子の気持ちに気づいてあげてください。
​
「生きている子供と同じ」を理解しましょう。

水子供養とは……

水子は葬儀ができていません。

いわゆる、あの世へ行く為の戒を受けていないのです。

そもそも葬儀とは、お釈迦さまや阿弥陀如来さまの弟子になる為の儀式ですから、人は死んだら皆僧侶になるわけです。

ですから、葬儀の際、死んだ人の頭にお坊様が剃刀を当てるという作法は、坊主(僧侶)になるということなのです。そして本当に得度式を行うような印を死者に授けていくのです。

少し、お坊様専用の引導作法の本をお見せしましょう。

明光暁院、大阪府池田市、寺院
明光暁院、大阪府池田市、寺院

理解できましたか?

そして本来は御遺体に白装束(旅装束)を着せ、六文銭をもたせます。(これはどの宗派でも、どの葬儀屋でも行っていることです)

明光暁院、大阪府池田市、寺院

このうち六文銭は死者が三途の川を渡るときにお地蔵様に渡します。そして残りの三文銭は関所を越える時に支払います。(これで計六文)

これを仏教では六道銭ともいい、六道輪廻・六道界を示しています。

お地蔵さんの錫杖には六つの輪(六道界を示すもの)が左右に三つづつ付いているのですが、それを三途の川と関所で支払い終えるこのうち六文銭は死者が三途の川を渡るときにお地蔵様に渡します。そして残りの三文銭は関所を越える時に支払います。(これで計六文)

これを仏教では六道銭ともいい、六道輪廻・六道界を示しています。

お地蔵さんの錫杖には六つの輪(六道界を示すもの)が左右に三つづつ付いているのですが、それを三途の川と関所で支払い終えると、錫杖に残っているのは須弥山(仏様たちの住まれる山)と五輪塔が残るのです。と、錫杖に残っているのは須弥山(仏様たちの住まれる山)と五輪塔が残るのです。

錫杖

9cbdcf3d9fbcb68a7af1274f3d6c65f5.jpg2_ed

六道輪廻・六道界

明光暁院、大阪府池田市、寺院

​五輪塔

明光暁院、大阪府池田市、寺院

須弥山

明光暁院、大阪府池田市、寺院

​三途の川を渡り、関所を超えれば先祖の元に向かうことができることを物語っているのでしょう。死者は三途の川を渡って初めて、少なくとも六道界の内の人間以上の世界に転生することができるのです。

明光暁院、大阪府池田市、寺院

水子の場合…
 

では水子の場合はどうでしょうか?

葬儀を受けられず、戒名をもらえず、六文銭も持たせてもらえなかった水子達は、まずこの三途の川を渡ることができません。ですから、いつまでも三途の川の手前の賽ノ河原(西国浄土の方向にある河原)で石を積み続けなくてはならないのです。

​

一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して

昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする

姿婆に残りし父母は 追善供養の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには 酷や可哀や不憫やと

親の嘆きは汝らの 苦患を受くる種となる 我を恨む事なかれと くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押し崩す

その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出てさせたまいつつ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり

姿婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣の

もすその内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き いまだ歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌へに いだきかかえなでさすり 哀れみたまうぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩

これは「地蔵和讃」です。

なんと、地蔵菩薩様だけが水子を抱えあげ、錫杖で川底を突きながら向うの岸(彼岸)へ子供(水子)を運んでくれるのですね。

しかし、誰からも供養されていない水子はどうなるのでしょうか?また、なぜ水子が三つの石を積むと鬼が現れて崩されてしまうのでしょうか?

まず、鬼というのはあの世の警察官のようなものなのです。そして黒がね棒は警察官が持つ警棒のようなものだと考えてください。鬼は水子が理に合わないことをすると、それを許すことができないのです。

水子は、親兄弟が自分の為に葬儀をすることもなく、お墓を作ってもくれないので、自分自身で五つの石を積み上げて五重の塔(五輪塔)という本来の墓石の形を作成することにより先祖の元へ行こうとしているのです。

父に頼めど、母に頼めど、兄弟に頼めど、葬儀はおろか墓石も設立してもらえない悲しみは、実際あの世での想像を超える悲しみと言えるでしょう。それでも水子は自ら五輪の塔を積み上げることを辞めないのです。なぜ水子が賽ノ河原で五輪の塔を積むことが許されないかと言いますと、母の胎内に宿ったことにより、地輪と水輪を持たされたものの、葬儀(火輪)をしていないことにより風輪・空輪も得ることができないからなのです。

鬼はあの世での矛盾を正すのが仕事です。水子に対し、正しい追善供養がされない限り、五つの石を積み上げることはゆるされることではないのです。そして、いつまでたっても父母が正しい追善供養をしなければ、水子はいつまでたっても三途の川を渡れず、最後には鬼に川下へと追いやられ賽ノ河原を下らなければならないのです。

もし河原を渡れなかったら…
 

賽ノ河原を下る水子は、やがて畜生道、餓鬼道にであうことになります。そして、三途の川を渡れなかった水子の霊は、次の転生において人として生まれることはできず、出会う世界で折り合いをとらなければならなくなります。

ですから、次の命は

●畜生道(牛や豚、犬、猫など)
●修羅道(イタチや鳥、野生動物)
●餓鬼道(昆虫や 類、ネズミ)

のいずれかに生まれ変わったりするわけです。

その時点まできますと、この世に住まう父母や兄弟も無事という訳にはいかなくなります。

子供のいる人にしては、子孫達を取られてしまうため、自分の子供の弱体化、もしくは精神の問題に直面することになります。

また、母親にしては、特に婦人科系が癌化することもあるように思われるのです。

しかし、その水子の霊の事を考えれば遅すぎるということはありません。

「水子の供養をしたい」

そう思った時が正当に供養をする機会ではないでしょうか?

いずれにせよ、この水子の霊がどのように転生しようとも、水子の霊には供養は有効なのです。

血族者が追善供養をすることによって必ずや水子の霊は救われていきます。

いったん違う生命に転生したとしても、次の機会で必ずやその功徳は働き、その子を望む親の元へ生まれてくる事ができると確信しています。

全てが、今から貴方が行う自分自身の水子への追善供養次第なのです。

三途の川にいるか、または転生してしまった水子の苦しみは、今あるこの世の血族に必ず反映することを覚えておかなくてはなりません。

心から水子の事を想い、滞々供養することによって自然と貴方の身の回りの不幸も解除され、幸せな日々が訪れるはずです。

bottom of page